本と音とそれから語学、私ブログ。

自分の思いを一つ一つ紡いでいく。

自分のことが好きなんてあるのか

(20)

 

来月(21)

 

絡まっていた糸先が見つかりました。

でもその糸は一筋縄ではいかないようです。

 

 

自分のことが好きですか

 

 

好きな自分なんか存在するもんかーと

私は舞台の裏側で叫びたい

 

 

好きだと言える人が集まるステージを

私はきっと早足で下る。

 

 

そして、籠って声を潰す

お酒を浴びるように呑む

泣くと酔いは無くなるから

 

 

 

未来を生きずに、今を生きろ!

 

今の自分をまずは受け入れること

 

今の自分を好きになる

 

 

みんなそんなに自分のこと、好きなの…?

 

そんなに今を楽しんで生きられるの…?

 

 

なんで…

 

 

という疑問が消えません。

 

悩み詰めて、出た結果がこれでした。

 

note.mu

 

 

勝手ですが、すがります。

この文章を読んで、なぜか救われた私がいました。

 

選ぶためには選べるだけの

選択肢があること、

そしてその選択肢を知っていること。

その選択肢を選ぶ基準を

自分で持っていて、

それを選択しても

大丈夫と思えるだけの

ベースの肯定感や効力感があること、

周りにサポーターがいること。

選び直しができることと、

それを知っていること。

そして何より、どれを選んでも、

選び直したとしても、

住まいがあること、

食べていけること。

(上記記事より抜粋)

 

ただ「選択肢をつくる」ことだけでは

届かない人たちがたくさんいる。

(上記記事より抜粋)

 

 

心のどこかで安心する私がいた。

私が声を大にして言いたかったことを

言葉にしてくれている人がいた。

 

 

どれだけ選択肢を広げてもらっても、

多様な人たちに出会っても、

多様な価値観に出会っても

 

 

自分が自分でなければ

ただのいい迷惑なのである。

 

むしろ、迷いと苦しみが助長されるだけ

 

もう少し、かみ砕きます

私のことも入れて

 

 

 

その選択肢を選ぶ基準を

自分で持っていて、

それを選択しても

大丈夫と思えるだけの

ベースの肯定感や効力感があること

 

 

これだと思った。

 

これを選択しても大丈夫だと思えるベースが

私にはなかった。

 

それは私単体ではなく、

私+何か名誉なこと=承認

 

そう思い続けていたからだ。

 

 

高校一年の時、英語が好きで

正直、試験で困ることはなかった。

 

先生からも英語を褒められ、

読書感想文も国語の先生方から称賛をもらった

 

高校入学当初、

親から反対されて入った学校だったので

応援団は0に等しかった。

 

けれど、何かできると承認してくれる人が

校内で現れるようになり、

それが嬉しくてたまらなかった。

 

 

しかしそれが次第に悪魔のささやきになる。

 

何かができないと

承認をもらえなくなるかもしれない恐怖だった

 

 

誰かの期待に応えられた時の

誰かの反応が私のとっての原動力だった

 

 

けれど、高校二年生になった時、

色々なものが崩壊し始める。

 

数学の先生が怖かった

内容も難しくなった

 

でも何とか食らいつこうと必死だった

けれど、そんな勢いとは裏腹に

授業中に涙がこぼれるようになった

 

でも、周りを見たら

みんな平気そうな顔をしている

 

「わかんねーからいいやー」と

笑っている人もいる

 

意味が分からなかった

 

 

出来なくて、なんで笑えるの?

 

だんだんと自分の真面目さが馬鹿らしくなってきた

 

寝ている男子の横で

びしょびしょに濡れた涙の教科書を

鼻水でべとべとになったティッシュ

埋め尽くしていく

 

黒板を見ても、もう時すでに遅しである

いや、泣いた時点でもうゲームオーバーなのだ

 

泣いて問題ができるわけ?泣く時間があるならやれば?

 

幼少期の母の言葉が悪いことに追い打ちをかける

 

朝四時半に猫とともに起きて、

課題をやる生活が始まった。

しかし、口唇ヘルペスと蕁麻疹の発生により、

身体が先に白旗をあげた。

 

 

先生を変えるわけにもいかない、

クラスを変わるわけにもいかない、

もう食らいつくしかない

 

けれど、先生に聞きに行っても

結局泣くので、言われる言葉はどれも同じだ

 

「なんで泣くの…」

 

分かってるんだよ、そんなこと

泣かれたら困ることくらい、

 

涙は人を動揺させる

 

耳にタコができるくらい母から言われてきた

 

すぐ泣くようなこの性格さえなければ、

この真面目ささえなければ

 

周囲と自身の期待に応えられるかもしれないのに

 

お世話になっていた養教の先生や

今でも親交のある先生に

何度も聞いた

 

「なんでみんな泣かないの?」

 

どうして自分ができないことを

できないこととして

認められるのかが分からなかった

 

 

ちょっとつなぎの言葉が思いつかないので

話を無理やり戻します。

 

 

今を生きる

 

 

正直、意味が分からないです

 

 

どうやったら過去や未来に生きずに

今を楽しめますか

 

 「面倒くさい」と人から言われることに

おびえることなく、

同郷の友達や先生とご飯に行けますか

(私のつまらない話になるのが怖くて

しまいには何話したらいいか分からなくなって

行きたいのにLINEを開いて閉じるを繰り返していたら

春休みがもう終わる。そんなことで私を嫌いになるような

人たちじゃないことくらいとっくにわかってるのにね)

 

 

みんなが行くようなUSJを純粋に楽しめて、

人を見下すことなく、悪く思うことなく、

自分を好きになれますか

 

 

 

そんなことを泣きながら相談した先輩に

こんなものを書いてもらいました。

 

f:id:nana-oshita7:20190328205141j:image

 

嬉しかったです。

 

もう少し、ヒントを、勇気をください。

 

 

 

 

せかいのはじまり

ぱっと世界が開ける瞬間、

心臓がぐっとなって、お腹が痛くなります

そして、ふいに車窓を見てしまうのです

 

開けたわけじゃないかもしれない

でも、狭くなんかないし、

その世界を自分がたどってもいいのかなと

思えた気がしました

 

 

 

長いこと、更新しておりませんでした

二か月ぶりくらい

やば・・・

 

一月はもう、年明けたら

試験勉強してましたね・・・

真面目やな・・・わたし

 

そのおかげで、全科目一発合格

再試を逃れ、田舎も逃れるべく、

私は大都会、東京へと旅立ちました

 

 

青春18きっぷ

島根-岡山-名古屋-鎌倉-東京-

高崎-東京-横浜

東京は電車賃が安いのねぇ・・・

さすがに帰りは新幹線でしたが・・・

 

 

大変だと聞いていましたが、

全然そんなことない

めちゃくちゃ楽しかったです

 

歴史が好きなのもあったんでしょうね

安土、彦根関ヶ原、清水、湯河原、熱海

駅の名前を聞くたびに、興奮してました

 

 

そんなことではない、今回書きたいのは

 

5泊6日の関東での生活は

もっと自由で、ゆるくていいんだよ、

人生って

そう教えてくれたのかなと

 

 

今までずっと、「ゆるくゆるく」と

真面目に苦しんでいたんだなと

 

そんなに壁が厚くて、条件あったら

人は寄ってこないと思うよ

 

 

山頂からの夜景を撮りに行くべく

車に乗せてもらっていた時のこと

 

一台も車が通らない道を

スピード上げながら楽しそうに運転する

そのドライバーが放った

 

 

正直、カチンときたけど

でもそれは怒りからじゃないことに

後から気がついた

 

今まで気がつかなかった自分のことを

言葉で指摘された悔しさからだった

 

いや、悔しさでもなくて

嬉しさとハッとした気持ちからかもしれない

 

「言葉にしてくれてありがとう」

素直に伝えられなかったから

そのまま目の前の信号をずっと眺めていた

 

 

 

称賛

期待

 

周囲からこの二つを感じるたびに

なぜか離れたくなる私がいた

 

自分が勝手に感じているだけかもしれず

「何を勘違いしてるんだい?」

ささやく声も聞こえてきそうになります

 

 

 

「素直にありがとう、褒めてくれて」

思えて、言えたら、どれだけ楽でしょう

どれだけ気楽に生きられるでしょう

 

 

でも、褒められたら褒められた分だけ

その人から距離を置かれるのではないかと

どこか一抹の不安を感じてしまう

 

 

あの人は、スキと弱みがないから

 

 

本当は誰よりも承認欲求が高くて

プライドが高くて、

 

歳相応以上のことをすることで

そのプライドを保とうと

必死だったのかもしれない

 

 

完璧じゃないと、必要とされないと

自分が誰よりも傷つく

 

 

これじゃ、嫌われると

 

 

だからどこかで無理して、

いい言葉を並べて、

 

何としてでもそのプライドを

保つ必要があった

 

ああ、めんどくさ・・・

疲れるね、こんな人生

 

 

 

自己中心的(略して自己ちゅー)

 

自分勝手で、自分さえよければ

相手のことなんかどうでもいい

 

そんな意味合いだと思ってた

 

 

でもその意味合いを履き違えた

なれの果てが私かもしれない

 

そう東京に行って感じた

 

 

自分の人生なんだから

自己中心的になるのは当たり前

 

 

なんでこんな簡単なことがわかるまで

二十年かかったんだろう・・・

 

 

自分の学びたいことをはねのけて

社会により必要とされている

職種の人になる

 

楽は楽、だって考えなくても

目の前に道は勝手に広がるから

 

 

でも、ごめんなさい、

多分、そんな人生は私には合わない

 

 

 

この旅が終わって、

岡山からやくもに乗ったとき、

初めて涙が出そうになった

 

 

「帰りたい、戻りたい」

 

 

下北沢の古着屋の店員さん

「いらっしゃいませ」という言葉はない

 

けれど、服のことを聞くと

楽しそうに話してくれる

 

きっと誰よりも服が好きだから

 

 

高崎の古着屋さん

「服のことはよくわかんないけど

この二人の支えになれるなら」

 

高卒でストレスフルな仕事から

ご縁を頼って今に至る店長さん

 

話下手だけれど、

一生懸命しゃべるその姿を

嫌いだと思う人はきっと少ないと思う

 

 

ゲストハウスで三月まで働いて

四月から山梨の私立学校に勤めるスタッフさん

 

 

鎌倉のゲストハウスで出会った宿直さん

大学を半年で辞めて、

はるばる大阪から宿直さんになる

 

一つ上には見えないくらいたくましく、

迷いながらもご縁の中で生きてた

 

 

 

生きることって

そんなに難しくないのかもしれない

 

 

もっと気楽に、気軽に

生きることを楽しんでもいい

 

 

東京が、関東の人たちが教えてくれた

 

 

自分が降りる駅になったから

満員電車で人を押しのけてでも降りる

 

私も申し訳ないと思いながら

キャリーケースをグイグイ押し、

満員電車を降りました

 

でも、誰も文句を言いません

それが何とも心地よかった

 

 

気がつきました、この時

 

東京の人は冷たいんじゃない

他人にさほど興味がないのです

 

 

興味がないからこそ、

どんな格好をしていようとも、

どんな髪色でも、風貌でも

生きていけるのだろうと思いました

 

 

多文化社会・・・、これか、と

 

 

これを心地よいと思い人もいれば

寂しいと思い人もいると思います

 

生きたい場所、自分に合う場所、

 

 

自分の居場所は自分で決めたらいい

 

 

 

そのドライバーが油そば

ご馳走してくれました

 

そのラーメン屋さんで教えてくれました

 

人生って居場所探しの旅だと思う

合わないって思ったら

もっとフィールド広げたらいいし、

もっと知りたいって思ったら

深めたらいいだけ

 

 

 

意外と、人生って単純でしょ?

 

 

 

ほんとだね、ほんとだよ

ラーメンをすすれなかったのは

ほんの少し、泣きそうだったから

 

 

 

 

「あんた、もう少し面白い話できないの?」

 

何かつまらん、愚痴みたいな話をしてたんでしょう

母にそう焼酎を呑みながら言われました

 

 

人と話すときは面白くないといけない

つまんない話をしたら、聞いてもらえない

この話、楽しんでもらえてるかな

 

 

悩みとか、困ってることとか

暗いネガティブな話はおろか

 気がつくと、何を話したらいいのか

わかんなくなり、

話すことが面倒くさくなりました

 

 

でも、もっと単純でよかった

 

 

自分が楽しめる場所にいたらいい

 

 

 つまんないと感じる場所にいなければ

出てくる話は全部、楽しい話

 

 

そのために動くことが

自分の人生に責任を持つことかもしれない

 

 

 

 

私の恋愛観もけちょんけちょんに

ぶった切られ、

(でも、正論やった・・)

 

後日、もう一度会う機会があったので

私がドライバーの恋愛観を

ほんの少しディスリ、

(お互いに変なんよな、きっと・・・)

 

 

このドライバーとの関係を

これからも続けていこうと決めました

 

 

 

 

fukaseという人間に出会って

今まで直視できなかった自分を

客観的に見られるようになって

人生が大きく変わった

 

 

 私の大好きなバンド、セカオワ

そのピアニストがボーカルとの出会いを

こう述べている

 

 

縁とはわからんもんだ

 

 

私にとって、fukaseみたいな人間に

なりうるかもしれない人と

ラーメンすすってるんだから

 

 

多分、話したことも聞いたことも

どれ一つ覚えてないだろうけど、

それくらいできっとちょうどいい

 

 

そんな存在がいると分かってるだけで

安心してるから

 

(直接はとても言えないからここで)

f:id:nana-oshita7:20190310155256j:image

 

Fin.

 

私がこれをする意味

ふと思うことがある

 

高校生の私に響いたのかな、これ

f:id:nana-oshita7:20190104225209j:image

 

 

大学に入ってから、ご縁に恵まれて、

俗に言う、キャリア教育と呼ばれるものに

関わらせていただいている

 

この間、ご縁あって

関わらせていただくようになった

高校生に対してキャリア教育をする

学生団体のリーダーと喫茶店座談会をした

(ちなみに服部珈琲という松江の有名な喫茶店)

 

どうやって高校生が自己開示したいと

思えるような場を作ってるの?

 

私もだっぴという場を知っていて、

そんな場を作ったことがある

 

その団体を作った経緯を聞く中で

尋ねられた質問だったけれど、

うーんと悩んでしまった

 

 

 

私はもともと話すことが好きだった

だけど、同級生とは話が出来なかった

どうしても子供っぽく思えてしまう

 

だから、先生を取っ捕まえて

勝手に話し相手になってもらっていた

 

だから、聞いてくれる人がいたら

自分の意見は話せてしまう

 

けれど、この質問を尋ねられて思った

 

本音って話さない、いや話せない…と

 

 

 

この間、その団体の企画があった

私は残念ながら現場には行けなかったけれど

会議には参加させてもらっていた

 

今回はスケットメンバーも加わって

意見が飛び交う会議

 

高校生のためにワークシートを作り、

高校生のためにコンテンツを考え、

大学生が高校生を思いやる

 

この過程が私はものすごく好き

 

でも、うん、でもだ、

私の頭ではもう一つ出現するものがある

 

 

高校生の時の私に響いたのかな…

 

 

私はとてつもなく頑固だった

これと決めたらそれ以外が見えなくなる

 

そして、最悪なのは

自分の特質に仮面を被して見ようとしないこと

 

きっと高校生の時に大学生と話していたら

こう言われていたに違いない

 

将来のこと、めっちゃ考えてるじゃん!

もう凄いやん!

 

養護教諭になるために

あの大学に行って、

そのために次の模試、こんだけとって…

 

 

うん、確かによく考えてるかもしれない

 

でも、少し立ち止まってほしい

 

サイレンの音や、蛍光灯、

教室や集団行動が苦手で、

他人が怒られているのを見て

心臓がバクバクしている

 

そんな人に養護教諭が務まるかな…

 

ただね、悪い部分だけじゃないよ

数学ができなくて今は発狂してるけど

 

それだけ貴方の感性は鋭い

じゃあ、それを活かせるような

そんな生き方もあるんじゃない?

 

 

 

教員や同級生は夢を否定しない

いや、出来ない

それがその子に合っていないかもしれない

そう思っても、否定は絶対にしない

 

親は少し違う

親心からだろうけれど、

否定も肯定もしてくる

そして、代替案も提示してくる

 

ただ、それは単なる押し付けとしか

高校生には捉えられないだろう

(現に私がそうだった)

 

 

となるとだ、

本当の自分を知るためには

自分で自分の特質に気がつくしかない

自分で自分のことを知るしかないのだ

 

けれど、それは同時に

今までベールを被ってきた自分の弱みに

向き合うことになる

 

きっと泣くし、喚くし、叫ぶかもしれない

 

とてつもないエネルギーと勇気、

本当の自分を受け止めるだけの容量を

小さな思春期の高校生に

背負わせることになってしまう

 

 

でも、もし、その重たい荷物を

半分こにできたら

 

一人じゃなくて、二人で抱えられたら

 

涙や苦しみの先にある自分の姿を

もっと好きになれるんじゃないか

 

これから生きていくことが

楽しみだって思えるんじゃないか

 

 

私は親でも教員でも友達でもない、

三者に求められている気がする

 

 

自己分析の感情浄化に寄り添う伴走者

 

 

泣いたり、何も話せなくなった時に

そっとティッシュを差し出して、

黙ってそばに居てくれるような

そんな人に出会いたかった

 

 

鋭すぎる感性を肯定してくれるような

そんな考え方に出会いたかった

 

 

自分も高校の時、そうだったから

気持ちがわかるよ

 

そう言ってくれる年上の人に出会いたかった

 

 

 

私の勝手な意見だけれど、

〇〇させるという言葉が好きではない

使役はあまり使いたくない

 

 

高校生に気づかせるじゃなくて、

高校生が気づけるようにそっと寄り添う

 

ほんの少しの言葉の違いで

ニュアンスが全く異なってくる

 

言葉の力って不思議ね

 

 

最初の話とあまり一貫性がないけれど(笑)

ちょっと誰とこの件については

ゆっくり話してみたいなと思うのでした

 

 

Fin.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猪突猛進の前に…

あけました!

 

おめでとうございます!!!!

 

実家にてガキ使とすき焼きをつまみに

ワインからビール、シメの焼酎と呑みわたり、

 

晦日、わが兄弟の名物、

Haagen-Dazsドラフト会議を開催

 

今年もプロ注目の選手がそろい、

見事、三人とも

第一選択選手を食べることができました

(私は紅茶のアリスがどうたらってやつ)

 

 

そして、今日の朝、

二日酔いの「ふ」の字もなく起床し、

年明けそばをすすり、

すき焼きで残った牛肉を食べました

 

という日記から2019一発目のブログ更新です

 

 

 

昨年は(あ、もう昨年か・・・)

一言で表すと、もうこれしかないでしょう

 

 

「出会い」「オトナ」

 

 

 

イベント別振り返りスタート

(新春番組まで時間があるぜ!って方は

お付き合いください)

 

  • 3月

マイプロ島根県大会での学生との出会いは

強烈でした

私の咲きたい場所が決まった瞬間です

詳しくはこちらから⇩

 

nana-oshita7.hatenablog.com

 

書きたいことはたくさんあるけれど、

チーズケーキが焼けるまであと少しなので次!

 

  • 4月

鳥取市のキャンパスから米子に移り、

けっこうメンタルがやられた時でしたね(笑)

(ひとりぼっちってこれかと・・・)

 

しかし、この月の23日、

愛する明菜ちゃんが『SOLITUDE』をリリースした

年齢と同じ、にじゅっちゃいになります

 (SOLITUDEは色っぽさと冷めた感じがタイプです)


中森明菜 solitude

 

とはいいつつも酒が合法になったくらいで

淡々と過ごしておりました記憶です

 

  • 5月ー8月(チーズケーキまであと少し)

5月に念願だった

U.C.C(雲南コミュニティキャンパス)

合宿に参加

 

ここでの出会いもさることながら

学生の話を聞く、大人の方々の傾聴姿勢に感動し、

今の私の相手の話を聞くときの姿勢の基盤になってます

 

そして自分企画を遂行し、

試験と実習を終え、

念願のピアス、ガシャン!がありました

 

そして、これも印象的だったな

阪高校さん雲南ツアーでのロールモデル

ぺらさんがなるの巻

 

nana-oshita7.hatenablog.com

 

私をモデルとして選んでくれた先輩には

今でも頭が上がりません(まあ、タメやけど)

あ、こんな人間になったんだな、私と

密かに自分のプロジェクトを誇らしく思ったのでした

 

 

  • 9-12月(チーズの焼けるにおいがしてきた)

9月下旬、忘れもしない

中学生だっぴへの初参加

 

nana-oshita7.hatenablog.com

 

リュックを叩くくらい仲良しな先輩に誘われ、

もともと参加してみたかった中学生だっぴへ

 

ここでも雰囲気と温度は

私が場づくりをするときの見本になっています

 

 

はい、そして10月はこちら

教育だっぴ IN 岡山大学

 

これは岡山に行ってまで、

島根県人会を開く島根県民の地元愛が露呈しました

(あ、企画者は私か)

けれど、総じてにやにやしましたね、ふふ

 

もちろん、本目的も刺激をいただきました

 

 

さてさて、

残りはほぼ記憶のない期間が続きます

 

いやいや、12月にありました

くりぴっと(学生人材バンク内の団体企画)

 

久しぶりに湖山に帰り、企画に参加

そこで嬉しい二言が・・・

 

考えや思想がオトナになったね

雰囲気が変わって、垢ぬけたね

 

これは嬉しい、本当に

 

一年前の私を知っている先輩方からの指摘は

客観的に自らの成長を見ることができたので

良いモチベーションアップになりました

 

 

あ、そうそう

この時に出会った社会人の方の影響で

なんと、短編?小説を世に出すことに

(書いてはいたものの、

勇気が出ずパソコンで眠っていたのです)

 

https://note.mu/peratonana/n/nf8085cfec112

良かったら、読んでやってください

喜びます

 

そして、この帰省時に

私が一年前から関わらせて頂いている

CreaMi という団体の方々と

作戦会議してきました

https://www.facebook.com/creamishimane/

 

それから島根大忘年会にも参加

https://www.facebook.com/events/705634039802386/?ti=icl

 

今後の展望を話し、名前を売り、

しまいには松江から出雲まで

忘年会で知り合った先輩に送っていただき…

 

あと、個人的に忘れられないことと

 

nana-oshita7.hatenablog.com

 

 

この時の会話は忘れないです

楽しくて、嬉しかったんだ

 

 

 

はい、新年早々、

昨年の振り返りから始まるスタイル

 

ここまできて、やっとこさ

今年の話になるのですが、

チーズケーキが完成しまして、ええ、

 

今年のことはブログではなく、直接、

Facebookに書きます(笑)

(意味ないやんね・・・)

 

もう、ここは振り返りってことで

お許し願いたい

 

 

ただ、こうして振り返ると

オトナになって良かったと思うのです

 

何と言いますか、生きやすくなるわけですよ

いろいろなことにおいて

 

 

ここまできて自分を褒めるのも

何なんですが、(新年なので許してください)

 

行動力

 

人からの感情を素直に受けとる感受性

(今まで嫌いだったのにね、これが成長)

 

 

でも、こうやって

弱みが強みに変わったのは、

それを認めてくれる方々のお陰です

 

一年前との違いはたぶん、ここ

 

「なな」と「ぺら」

そう呼んでもらえるが増えたことが

何よりもの私の強さです

(コツはいつ何時でも名刺を持って、

相手に興味を持つことです)

 

 

また、3月頃に広報と良いご報告ができたらと

思いますので、お楽しみに

(言ったから、やるぞ)

 

 

相変わらず、人の名前と顔が一発で一致せず、

敬語も上下関係もへったくれもない私ですが、

 

宜しくお願い致します

f:id:nana-oshita7:20190101204300j:image

 

Fin.

絶賛、もやもや期

もう少しで十二月。

今年もあと一か月。

 

早く冬休みが来ないかな・・・と

(まあ、来てもすぐに試験勉強に入るのですが・・・泣)

 

 

ただ、正月明け後の学校は

ほぼ試験のためだけにあるようなもので、

 

それが終わるとすぐに春休みがきます。

 

 

 

そして、この春休みについて

私は非常に悩んでいるのです。

 

 

 

大学生の春休みはほぼ二か月。

 

何かをするにはもってこい。

 

 

 

私はこの春休みに

自分の生き方を考えてみたいのです。

 

 

もう少しいえば、働き方暮らし方

 

 

 

ここ最近、ずっと思っていたもやもや。

 

 

私はあんな生き方がしたい

 

 

そう思う生き方はあるのに

それが現実的にできていない今とのギャップ。

 

 

「 こんな生き方は現実的に無理 」

 

 

私の環境とは全然違うからというのもある。

 

でもそれ以上に、

 

周囲の思う私私の中の私だと思っていた。

 

 

 

と、うん、これだけではよくわからない。

ので、私自身も書きながら整理します。

 

 

感情の浄化

(ここ最近、講義で習ったの言葉なのだ)

 

 

 

 

昔からこだわりは強い方だった。

色々なことにおいて。

 

そして、思い込みもかなり激しい。

 

 

だからかもしれない。

 

 

一度、こうだと決めたことを

なかなか自分で崩せずにいた。

 

 

自分自身の認識

意識的に捻じ曲げていたのかもしれない。

 

 

自分はこういう人間なのだから、とか

前、周囲の人にこう言われたから、とか

 

 

特に身近にいる人からの言葉は大きい。

 

まず、一番はやはり母親。

 

ただ、一つだけ言えるのは、

この方は私以上に私のことを知っている。

 

 

私が無理していた思考や将来像を

現実の世界に引き戻し、

 

あんたはこうじゃない?と

的を得たことを言い当てる。

 

 

のが、時には怖くも悔しくもあるのだが、

結構、実は参考になっているのは確か。

 

 

んーこういうことじゃなくて・・・

 

 

これかな、

やってみてわかる自分の本当の考え

 

私は先月から短期でバイトをしているのだが、

 

バイトをして気がついた。

 

私の一番の優先順位はお金じゃない、と。

 

 

 

お金を稼ぐよりも、安心して生きられる方がいい。

自分のペースでいられる方がいい。

 

 

そういう自分の本当の思いに、

バイトを始めてきちんと分かった。

 

 

だから、正直、もうお金稼ぎはいい。

 

 

自分に向けて言われたことでもないのに、

何故か帰り道に泣いてしまったり、

 

何かわかんないけど、

突然、お腹が重たくなったり、

 

 

でも、これはやってみないとわからなかった。

 

 

 

だからこそ、私はきちんと考えたい。

 

 

私に合った生き方暮らし方を。

 

 

 

自分の理想と、自分のキャパや性質に合った

そんな生き方を考えたい。

 

 

 

社会に出たら、失敗は簡単にできない。

どこかに所属すれば、できないこともある。

 

 

だからこそ、学生のうちに

失敗してもいい場所で、挑戦をしたい

 

 

失敗が怖くて、人に迷惑をかけるのが嫌で

人の顔色を伺いながらいた。

 

 

誰かに「すごいね、さすがだね」

そう言われることは嬉しい。

 

けれど、それを他者からの期待だと捉え、

勝手に自分の首をどんどん絞めていた。

 

 

もう、そんなプライドとはおさらばしたい

 

 

 

自分のことは自分で管理できる

そんな人間になりたい。

 

 

ほんの少しでもいい、

自分が生きやすくなったら・・・

 

 

ほんの少しでいい、この感性をもって

生まれて良かったと、そう思えたら・・

 

 

 

相手の幸せが自分の幸せ

 

 

相手の笑顔が私の笑顔

 

 

私は自分のためにより

相手のためにの方が動きやすい。

 

 

でも、時にその度が過ぎて、

自分と相手の境界が分らなくなる。

(これが本当につらいのだ)

 

 

 

だからこそ、

程よい距離感でそっと背中を押してくれる

そんな場所が心地いい。

 

 

 

私は大学に入って、

そんな環境が存在していることを知った

 

 

苦しまなくても、悲しまなくてもいい

 

 

ぺらちゃんでいいよ、と

 

 

そう私を肯定してくれる人たちが

頼もしい人たちが沢山いた。

 

 

 

結果、よくわからない文章になりましたが、

私は今、変わりたいんだと思います。

 

挑戦したいことはあります

 

 

でも、不安の方がかなり大きいです

見えないこわさのような

 

 

変わりたいというか、

いろいろな生き方をしてみたい

 

 

その中で自分に合う生き方をしたいです

f:id:nana-oshita7:20181129203556j:image

 

 

Fin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研究テーマ:「正解」と「不正解」

連日投稿、お邪魔します。

 

日照時間もだんだん短くなり、

冬らしくなってきましたね。

 

気がつくと、もう十一月半ば。

ああ、今年ももう終わります…

(年々、一週間が早くなっていく)

 

私は、無理のない範囲で、

弁当作りを頑張っています。

(結構、楽しくやっている)

 

 

ということで、本題に参ります。

 

 

 

「正しい人生」は存在するのか。

 

 

 

私はふと、疑問に思った。

 

 

何をもって正解となるのか、

世間の正解や不正解は存在するのか。

 

 

私はこれを検証したいと思っている。

 

 

 

何となくではあるが、答えは見えている。

 

 

ない

 

 

ただ、そのことをどれだけの人が

自覚して行動できているのだろうか。

 

 

 

もう少し、分かりやすい言葉を使うと、

 

 

平凡な人生は存在するのか

 

 

 

高校時代、こんな先生がいた。

 

イチロー選手は・・・だった

 

○○はこんな生き方をしていた

 

 

 

様々な人や考えを手に入れて、

それを授業で話す。

 

 

メンタルを鍛えるために

やる気やモチベーションを上げさせるために

やっていてくれていたに違いない。

 

 

 

ただ、私はそんな話を聞くにつれて

こんな感情を抱くようになった。

 

 

 

この人、自分の人生をどう思ってるんだろう。

 

 

 

私は三年間、その人自身の話を聞いたことがない。

 

どんな高校生活を送っていたのか、

どうして教員になろうと思ったのか、

 

 

自分の人生のターニングポイントや

弱みや家族のことなど

 

 

今、思えば驚くくらい、

その人自身のストーリーを聞いたことがなかった。

 

 

ほとんどが他者の話、

それも有名なスポーツ選手とか、

会社の社長とか。

 

 

私はだんだんと悲しいような感情になった

 

 

わたしはあなたの人生を聴きたい

 

 

そう本当は伝えたかった。

 

 

勿論、その人の話で元気をもらったり、

頑張ろうと思ったこともあるため、

全否定をする気はさらさらない。

 

 

でも、正直言って、

イチローのネタを知っている人たち全員が

その話はできてしまうのだ。

 

 

 

けれど、

あなたの話はあなたにしかできない

 

 

そんなことを思っているうちに、

私に一つの仮説が生まれてきた。

 

 

この人、もしかしたら

 

 

自分の人生は語るほどの価値がない

 

 

別に特別なこともない、平凡なものだ

 

 

そう思っているのではないか、と

 

 

 

 

さて、タイトルに戻ろう。

 

この世の中には、

「正解」と思われがちなことが多くある。

 

 

・結婚すること

 

・子供を出産、育児をすること

 

・身体・心理的に健康な子供を産むこと

 

・子供は学校に毎日、通うこと

 

・勉強ができて、成績がいいこと

 

・先生やおとなの言うことを聞けること

 

・何かすごいことができること

 

・人に迷惑をかけないこと

 

 

まあ、出したらきりがない。

 

 

 

では、上記ができなければ、

「不正解」になるのか、

 

・結婚しない

 

・出産、育児をしない

 

・学校に毎日、通わない

 

・勉強ができなくて、成績が悪い

 

・先生や大人の言うことが聞けない etc

 

 

うん、別に不正解じゃない。

 

そこにはそれ相応の、人生がある

 

 

 

平凡の対義語、非凡

thesaurus.weblio.jp

 

 

  • 平凡⇔卓抜 

目立って優れていること 

  •  平凡⇔異色

普通でない要素があるさま 

 

 

人生って、何か特別なことがないと

平凡になってしまうのか。

 

 

卓抜な出来事がなければ、

人に自らの人生を語る価値はないのか。

 

 

そもそも、非凡なことってなんだろうか。

 

 

 

 

 

最後に、少しだけ、

私がここ最近、驚いたことを話す。

 

 

看護の講義には、母性看護学というものがあり、

主に、新生児女性について学ぶものだ。

 

 

今現在、妊娠期について学んでいるのだが、

 

Q:お母さんに陣痛が来てから

胎児がこの世で産声をあげるまで

どれくらいの時間がかかると考えるだろうか。

 

 

私はせいぜい、2-3時間だと思っていた。

 

 

 

そんな私に衝撃的な事実が飛び込んできた。

 

  • 初産婦(初めての出産をする人)

  陣痛発来から分娩まで:平均10-15時間

  • 経産婦(出産二回目以降の人)

  陣痛発来から分娩まで:平均5-8時間

 

192abc.com

 

 

これを聞いたとき、

この世の母親という生き物は皆、

非凡であり、化け物だということが判明した。

 

 

私の研究はまだまだ続く・・・

 

f:id:nana-oshita7:20181115163547j:image

写真が小さくならん・・・

Fin.

 

自分と相手を大切にしたいから

 

私はある時思った

 

 

自分ごとにできる人が多ければ、

傷つかなくて済む。と

 

 

私は小さい頃から思っていた

 

感覚が人とは違うかも…と

 

 

人が怒られているのを見て、

自分が怒られているように感じ、

当分の間、ビクビクしている

 

 

親と兄弟が喧嘩をしているのを見て

なぜか私が泣いている

 

 

人の声色や表情の小さな変化を

案外、すぐキャッチする

 

 

地元のお祭りとか、

テーマパークとか、あんまり興味がない

 

 

それよりも、小さなカフェや

ちょっとしたバーなんかで結構

 

 

一人が好きで、苦としない

 

 

割には人に興味がありあり

 

 

そんな私が一番嫌いなことが 

 

 

傷つけられること

 

 

というなんや、詩みたいやね、な人

 

 

 

このことをはっきり自覚したのは

実はここ最近のこと

 

 

大学に入ってから

 

 

私は昔から、

心理学とか哲学とか、

 

 

目には見えない概念的なものが好き

 

 

ちょっとした動作や表情で

相手が図るものをわかろうとしたり、

 

 

ふとした行動や声色の変化で

自分に向けられている感情を推し量る

 

 

なんか、スピリチュアルの世界だけど

これがなんと現実の世界あるのだから

どうにもならんのである

 

 

 

そんな感受性の鋭さ

長らく悩まされ、現在進行形なのだ

 

 

とは言いつつも、

なんだかんだいって、

とりあえず高校までまともに通ったし、

大学も自力で入って、辞めてない

 

 

そう、とりあえずは上手くいくのだ

 

 

友達は少ないかもしれないけれど、

毎日、講義も受けるし、

学外でもガチャガチャしている

 

 

精神看護とかをやると、

なんかの精神病…と思いそうになるが

そんな感じはない

 

 

骨折はレントゲン取れば分かるし、

傷も傷そのものを見れば分かる

 

 

けれど、精神的なことだけは

 

目には見えない

 

相手が辛いといえば辛いし、

苦しいといえば苦しい

 

以上なのである

 

 

 

そんな私に思わぬ情報が飛び込んできた

 

これかもしれぬ、と

 

 

www.tukishiro01.com

 

 

なんだか救われたようだった

 

そうそう、それそれと

心の中で囁いた

 

 

高校の数学の時間、

とにかく速く速くと言われた

 

この問題を何分で解け!

 

口は悪いが、

うっさいボケーーじじいーー!!

速く解けたら何がすごいんやーーー

(と心の中で叫んでいた)

 

 

まぁ、そんなことを叫べるわけもなく

大泣きしながらやっていたのだが、

もう感情は大炎上である

 

 

その時には解けるはずもなく、

朝早く起きて、朝勉して、

課題をとりあえずこなして、

気づいたら唇に疲労ヘルペスが…

 

 

 

私がこの概念を知って

共感したのが、

 

  • 騒音とか、ざわざわが苦手
  • 暴力的な映画は見ない
  • 競争やスピードを求められることが苦手
  • 取り巻く環境の変化に気がつく etc…

 

 

そのほかにもたくさんあるのだが、

もっとも注目する点は、

 

 

疾患ではなく、特性だということ

 

www.hsp-hss-ls.com

 

 

忘れっぽいとか、飽きやすいとか

そんなものと同等で、感じやすい

 

 

 

ただ、もちろんすべてが当てはまるわけではない

 

人とコミュニケーションをとることは好きだし、

たぶん内向的でもない

 

引っ込み思案でもないし、

人付き合いもできる

 

 

 

ただ、

周りの人たちが簡単に受け流せるハサミ

私には大きなナイフになってしまう

 

 

ちょっと声色が変わると、

あ、気が使えてなかったかな・・・とか

 

 

表情が険しくなると、

話が面白くないかな・・・

私ばっかり話してしまったかな・・・とか

 

 

予想外のことを言われると、

その時の場面を何度も想起して、

 

あの時、ああしてれば、こうしてたら、

そんな「たられば」に苛まれる

 

 

そして、最もたちが悪いのが

 

 

自分とは無関係のことにも

このことが当てはまってしまうこと

 

 

高校生までは、この特性が

悪い方に悪い方に出ていた

 

 

 

しかし、大人になるに従って

 

この特性で良かったかもと思えるように

 

 

感受性が強くて困るけれど、

それがなければ興味も生まれない

 

 

人の苦しみや困りごとを感じ取れるから

社会問題や、課題を見つけやすい

 

 

自分の神経をすり減らすことになるけど

他人事を自分ごとにできる

 

 

度が過ぎることもあるけれど、

相手の気持ちになって行動できる

 

 

感受性が豊かだから、

ピアノ感情をつけることができる

(まさに、奏でるというやつ)

 

 

登場人物に感情移入しやすいから

暗黒中学期読書で乗り越えることができた

 

 

案外、いいこともあるもんである

 

 

 

 

この文章の冒頭に書いた

 

自分ごとにできる人が多ければ、

傷つかなくて済む

 

 

その感性が過剰すぎると、

自分が苦しむこともあるけれど、

 

 

【 自分だったらどう思うか 】

 

 

 

私が中学時代に抱いていた大人の姿は

 

これらができない人たちだった。

 

 

大きくなるにつれて、

できることも増えるけど、できなくなることも増える

 

 

その中の一つが私はこれな気がしてやまない

 

 

当たり前のことができなくなる

 

それが大人だと思っていた。

(今でも少し、思うことはあるけど)

 

 

 

この世の中には、いろんな心を持った人がいる

 

 

 

自分の価値のものさしだけでは

測ることのできないこともある。

 

 

 

だからこそ、私は声を大にして言いたい

 

 

 

他人に何かをするとき、

他人に言葉をかけるとき、

 

 

一度、立ち止まってほしい

 

 

自分が相手の立場ならどう思うかな・・

 

f:id:nana-oshita7:20181113222403j:image

 

 

Fin.