本と音とそれから語学、私ブログ。

自分の思いを一つ一つ紡いでいく。

自分のことが好きなんてあるのか

(20)

 

来月(21)

 

絡まっていた糸先が見つかりました。

でもその糸は一筋縄ではいかないようです。

 

 

自分のことが好きですか

 

 

好きな自分なんか存在するもんかーと

私は舞台の裏側で叫びたい

 

 

好きだと言える人が集まるステージを

私はきっと早足で下る。

 

 

そして、籠って声を潰す

お酒を浴びるように呑む

泣くと酔いは無くなるから

 

 

 

未来を生きずに、今を生きろ!

 

今の自分をまずは受け入れること

 

今の自分を好きになる

 

 

みんなそんなに自分のこと、好きなの…?

 

そんなに今を楽しんで生きられるの…?

 

 

なんで…

 

 

という疑問が消えません。

 

悩み詰めて、出た結果がこれでした。

 

note.mu

 

 

勝手ですが、すがります。

この文章を読んで、なぜか救われた私がいました。

 

選ぶためには選べるだけの

選択肢があること、

そしてその選択肢を知っていること。

その選択肢を選ぶ基準を

自分で持っていて、

それを選択しても

大丈夫と思えるだけの

ベースの肯定感や効力感があること、

周りにサポーターがいること。

選び直しができることと、

それを知っていること。

そして何より、どれを選んでも、

選び直したとしても、

住まいがあること、

食べていけること。

(上記記事より抜粋)

 

ただ「選択肢をつくる」ことだけでは

届かない人たちがたくさんいる。

(上記記事より抜粋)

 

 

心のどこかで安心する私がいた。

私が声を大にして言いたかったことを

言葉にしてくれている人がいた。

 

 

どれだけ選択肢を広げてもらっても、

多様な人たちに出会っても、

多様な価値観に出会っても

 

 

自分が自分でなければ

ただのいい迷惑なのである。

 

むしろ、迷いと苦しみが助長されるだけ

 

もう少し、かみ砕きます

私のことも入れて

 

 

 

その選択肢を選ぶ基準を

自分で持っていて、

それを選択しても

大丈夫と思えるだけの

ベースの肯定感や効力感があること

 

 

これだと思った。

 

これを選択しても大丈夫だと思えるベースが

私にはなかった。

 

それは私単体ではなく、

私+何か名誉なこと=承認

 

そう思い続けていたからだ。

 

 

高校一年の時、英語が好きで

正直、試験で困ることはなかった。

 

先生からも英語を褒められ、

読書感想文も国語の先生方から称賛をもらった

 

高校入学当初、

親から反対されて入った学校だったので

応援団は0に等しかった。

 

けれど、何かできると承認してくれる人が

校内で現れるようになり、

それが嬉しくてたまらなかった。

 

 

しかしそれが次第に悪魔のささやきになる。

 

何かができないと

承認をもらえなくなるかもしれない恐怖だった

 

 

誰かの期待に応えられた時の

誰かの反応が私のとっての原動力だった

 

 

けれど、高校二年生になった時、

色々なものが崩壊し始める。

 

数学の先生が怖かった

内容も難しくなった

 

でも何とか食らいつこうと必死だった

けれど、そんな勢いとは裏腹に

授業中に涙がこぼれるようになった

 

でも、周りを見たら

みんな平気そうな顔をしている

 

「わかんねーからいいやー」と

笑っている人もいる

 

意味が分からなかった

 

 

出来なくて、なんで笑えるの?

 

だんだんと自分の真面目さが馬鹿らしくなってきた

 

寝ている男子の横で

びしょびしょに濡れた涙の教科書を

鼻水でべとべとになったティッシュ

埋め尽くしていく

 

黒板を見ても、もう時すでに遅しである

いや、泣いた時点でもうゲームオーバーなのだ

 

泣いて問題ができるわけ?泣く時間があるならやれば?

 

幼少期の母の言葉が悪いことに追い打ちをかける

 

朝四時半に猫とともに起きて、

課題をやる生活が始まった。

しかし、口唇ヘルペスと蕁麻疹の発生により、

身体が先に白旗をあげた。

 

 

先生を変えるわけにもいかない、

クラスを変わるわけにもいかない、

もう食らいつくしかない

 

けれど、先生に聞きに行っても

結局泣くので、言われる言葉はどれも同じだ

 

「なんで泣くの…」

 

分かってるんだよ、そんなこと

泣かれたら困ることくらい、

 

涙は人を動揺させる

 

耳にタコができるくらい母から言われてきた

 

すぐ泣くようなこの性格さえなければ、

この真面目ささえなければ

 

周囲と自身の期待に応えられるかもしれないのに

 

お世話になっていた養教の先生や

今でも親交のある先生に

何度も聞いた

 

「なんでみんな泣かないの?」

 

どうして自分ができないことを

できないこととして

認められるのかが分からなかった

 

 

ちょっとつなぎの言葉が思いつかないので

話を無理やり戻します。

 

 

今を生きる

 

 

正直、意味が分からないです

 

 

どうやったら過去や未来に生きずに

今を楽しめますか

 

 「面倒くさい」と人から言われることに

おびえることなく、

同郷の友達や先生とご飯に行けますか

(私のつまらない話になるのが怖くて

しまいには何話したらいいか分からなくなって

行きたいのにLINEを開いて閉じるを繰り返していたら

春休みがもう終わる。そんなことで私を嫌いになるような

人たちじゃないことくらいとっくにわかってるのにね)

 

 

みんなが行くようなUSJを純粋に楽しめて、

人を見下すことなく、悪く思うことなく、

自分を好きになれますか

 

 

 

そんなことを泣きながら相談した先輩に

こんなものを書いてもらいました。

 

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嬉しかったです。

 

もう少し、ヒントを、勇気をください。