本と音とそれから語学、私ブログ。

自分の思いを一つ一つ紡いでいく。

中学生が教えてくれたこと

こんにちは。

 

昨日、友人から

招集がかかり、

公園でピクニックという名の

近況報告会をしました。

 

するとすると、

そこに桜が・・・

f:id:nana-oshita7:20180313165326j:image

 

何かに追われた生活が続くと、

小さな幸せや

足元に落ちている花さえ

踏みつぶしてしまうような

そんな人間なってしまいそうになります。

 

でも、桜だって生きてます。

 

その桜のお陰で、

外に出かけたくなったり、

お酒を飲みたくなったり、

並木道でステキな出会いをしてみたり、

門出を迎えてみたりできるわけです。

 

私たち人間はたくさんの恩恵をもらって

この世界で生きることができてるんだなと

しみじみ感じます。

 

あ、そうそう、

桜といえば、

雲南桜まつりというものがあるらしいです。

 

私の先輩方が何やら企んでるんですって。

 

私も小さい時に一度だけ

祖父母に連れて行ってもらった

記憶があります。

 

でもそれっきり

そんな余裕がなくなっちまってたな。

 

今年は行きたい。

 

風が吹いて桜がフワッと飛ぶ瞬間が

たまらなく好きです。

 

いつまででも見ていられます。

 

頑張る人の背中と桜のコラボ。

 

元気がもらえそう。

 

皆様のお時間があればぜひぜひ。

 

てなわけで、今回はそんなお話。

 

#「ある日」にすること

 

実家で本の整理をしているとき。

 

懐かしいものを見つけました。

 

私の高校が年度末に一度出す

小さな冊子。

 

それは図書館が発行しており

読書感想文の優秀作品や

読書絵画の優秀作品などを集めた

 

編集委員会オリジナルの

文集的なものです。

 

それは私が高校一年生の頃に

出版されたもの。

 

私が初めて読書感想文コンクールで

賞をいただいたときの作品が載っていました。

 

うれしかったな・・・

 

通称セーラームーンというニックネームの

当時、国語科の主任をしておられた先生が

絶賛してくださったと

後から聞きました。

 

届いてよかった。

 

そして、次のページをめくると

そこには部活動の先輩の作品が

掲載されていました。

 

読み終えた後、

大切な何かを忘れかけていたことに

気がつかされました。

 

というよりも、

高校一年生の時の私が読んだときよりも

大学一年生の私が読んだ時の方が

その文章の意味がすっと入ってきました。

 

文章をそのまま書くことはできないので、

私の言葉にして書きます。

 

幼いころ、

当たり前のようにある

道端の花のような身近なものに

不思議さや興味を持っていた。

 

そうすることで、

何でもない日を

「ある日」にしていた。

 

でも、大人になるにつれて

目まぐるしく動く毎日を過ごし、

目先の花に気がつく余裕も

なくなってしまっていた。

 

そして、気がつくと

自分は動かないで

誰かが当たり前のように過ぎる

何でもない日を

「ある日」にしてくれることを

心のどこかで待つようになってしまっていた。

(参考:『星の王子様』を読んで)

 

 

自分が居心地のいい環境

自分らしくいられる場所

 

それを誰かに作ってもらうことを

待っていませんか。

 

 

小さい時、

自分の居場所は自分で作ってたなと

思い返していました。

 

私はハリケンブルーをやりたいから。

ハリケンブルーが好きだから。

 

当時、私の大好きだった

戦隊ものを使っての

学芸会。

 

私以外はほぼ男の子でした。

 

私以外の女の子は

ケーキ屋さんごっこだった気がする・・・。

 

男の子に囲まれて

新聞紙で剣をつくり、

仮面に水色を塗って、

黒のごみ袋でマントをつくりました。

 

私ともう一人、

女の子でハリケンジャー

なっていた子がいたので

その子とともに、

 

男の子よりも

細くて、固い剣を作っては

自慢していました。

 

そして、発表当日は

ちょんまげの二つ結びスタイルで

怪獣をやっつけていたような・・・(笑)

 

 

でも、大人になるにつれて

世間体や無駄なプライドが身につき、

 

好きなものや

本当にやりたいことが

だんだんとできなくなってきていたことに

気がつき始めました。

 

算数や名誉、権力さえ手に入れば

幸せな人生を送れるよ。

 

好きを仕事にするなんて考えがあまいよね。

 

ワクワクしていた幼き日の時間

どこに行ってしまったんだろう。

 

 

ついこの間、私の妹が

中学校を卒業しました。

 

卒業式を終え、家に帰ってくると

クラスの卒業文集を見ていました。

 

いろいろな質問に対しての答えを

自分なりに書いた

プロフィールのような形のもの。

 

そこに

将来のゆめについて書く欄がありました。

 

今どきの中学生は

どんな夢を持ってるんだろう。

 

ちょうど、だっぴでもそんなテーマで

話す機会が多かったこともあり、

気になって読んでいくと・・・

 

幸せに過ごすこと

 

家庭を築くこと

 

好きなことを仕事にする

 

楽しく生きる

 

世界で一番、幸せになる!

 

なし!

 

ちょっとだけ感動しました。

 

そして、

日本の未来は明るいなと思いました。

 

とっても素敵なゆめたち。

 

 

でも、なんで、大人になると

花や星を踏みにじって

生きることになっちゃうんだろう。

 

どうして権力や年収、安定が

一番の生きる意味になっちゃうんだろう。

 

もちろん、お金がなかったら生活できないし、

やりたいことも

出来ないのかもしれないけれど、

 

それが一番じゃなくてもいい気がします。

 

大人になるときに誰かが

そうさせてしまうのかな。

 

みんながそれぞれ幸せだと思えたら、

争いも悲しい出来事もなくなるのに。

 

中学生が教えてくれたこと。

 

それは大人が忘れかけていた

大切なことでした。

 

#あとがき

この春休み、

頑張る人の背中をたくさん見ました。

 

そして今、その頑張る背中を

少しだけ応援させてもらっています。

 

いろいろ考えながら話をしていると

たくさんの思いを聞けました。

 

上っ面な思いじゃなくて、

その人の言葉で教えてもらった

 

その人にしか思えない思い。

 

その人にしかできないことば。

 

その思いを受け取った私は

気がつくと

 

「一緒に頑張ろう」

 

そう言葉を送っていました。

 

やっぱり、頑張る背中はかっこいい。

 

模索しながら

悩みながら生きる姿は

 

人のこころを動かします。

 

にんげんらしい生き方。

 

私の好きなこと。

 

私のやりたいこと。

 

私のちいさなゆめ。

 

頑張るひとの背中をそっと応援すること。

 

 

「頑張って」じゃなくて

「一緒に頑張ろう」

 

この春休みに、

そんな言葉をくれる仲間に出会えて

 

なんでもない日を

「ある日」に出来て良かった。

 

でも、学校では

好きなことを勉強しているわけではないし、

怪獣のような大人に囲まれて生きています。

 

大切なことを見落としそうで怖いです。

 

それでも、

隣で話を聞いてくれる人

 

「頑張れ」じゃなくて

「大丈夫だよ」と言ってくれる人が

 

私にはたくさんいます。

 

尊敬できる大人も

憧れの先輩がたも

 

学内にはいないけど、

学外にはたくさんいます。

 

「頑張れ」じゃなくて

「一緒に頑張ろう」

 

無理せずに。

Fin.