本と音とそれから語学、私ブログ。

自分の思いを一つ一つ紡いでいく。

キャベツを頬張りながら

朝、Facebookを開くと

私の好きな某バンドのピアニストが

書いたかのような文章が広がっていた。

「変わりたい」

彼女の文章から滲み出す

99.9%の覚悟と0.1%の不安。

(計算合ってるはず…苦笑)

そして、今私もブログをしたためている。

ちょこちょことFacebookでは

文章を書いてきたが、

ようやくブログとして

皆さんにお見せする日がやってきた。

というか、私がその日を

引き延ばしていただけだったのだが…

それでは、しばしおつきあいを。

 

どんなブログを書こうかなと

色々考えてみたが

本や音楽、出会いと関連づけながら

文學界という雑誌に掲載されている

ショートエッセイ風にしてみようと思う。

 

さてさて、一番最初のブログ。

最初らしくないのかもしれないが

この夏に、明石生まれ、出雲育ちの

自分で無理やり蓋を閉め

もがきあがいていた

とある19歳の大学生の身に起こった

衝撃的な出会いについて話をしよう。

 

七月の下旬。
突然、その世界に放り込まれた。
未来の先生展に行くという名目で。
「美しかった」
みんなが生きていた。
いい意味でみんなが人に無関心。
だから、何をしてもそこに存在できる。
どんな服を着ても、どんなメイクをしても。

田舎の空気しか知らなかったわたしには
ありとあらゆるものが眩しくみえた。
浅草の雷門、浅草寺
外国の方の多さと多言語に囲まれた空間は
今まで見ていた世界は狭いものだったと
知らしめてくれるものだった。

 

どんなことでも受け入れてくれる東京。
そんな場所が日本中に広がればいい。
「みんなと同じじゃなきゃダメ」
「周りはそうしてるんだからそうしなさい」
そんな言葉を、今のご時世に吐く人たち。
みんなと同じがそんなにすごいことなのか。
偏差値や平均点って
わざわざ人生の貴重な時間を使ってまで
出す必要があるものなのか。

 

生まれながらにして家庭の事情で
勉強が出来るような環境ではない子。
身勝手な大人のせいで、
子どもの権利を奪われた子。
障がいを持ちながらも、自分のペースで
ゆっくりと学びを深めていく子。
いろいろな子どもの姿があるのに
どうして一括りにすることができるのか。

 

東京が私に教えてくれたこと。
それは、
「生きている人それぞれに正義があること」
サラリーマンとして満員電車に乗る人も
着物やドレスをまとってバーで働く人も
祖国を離れて、家族のために汗を流す人も
みんなにとって居心地のいい場所をくれる
そんな街がきっと、東京なんだと思う。

 

 

もう一回、もう一回東京に行きたい。
人の数だけ生き方も考え方もある。
肌でその言葉に触れてみたい。

 

ラインはある意味で有り難いアプリだ。

一回送ってしまったメッセージは

消すことができない。

どりゃあ、と先輩に送った

未来の先生展への参加メッセージが

私の世界を変えた。

 

 初ブログ。

いかがでしたでしょうか。

こんな調子で書いていきます。

お付き合いのほどを

よろしくお願いいたします。

Fin.